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サーブ&ボレーはなぜ消えたのか

吉田 豊
こんにちは!、金曜日担当の吉田です。

今年行われる全米オープンの賞金額が、更にアップして史上最高額
になる事が、先日発表されました。

優勝賞金は385万ドル、日本円1ドル110円換算で約4億3千万円。

1回戦が、58000ドル、つまり出場するだけで約640万円、1回戦を
突破すると、約13000万近くになり考えてみると、ほとんどのマスターズ
250の優勝賞金よりも多くなってしまいます。

そこで心配されるのが、ちょうど来年の今頃に開催されるオリンピック
への影響です。

以前にもブログで紹介しましたが、金メダル取って500万(日本の場合)
の報奨金ですから、全米オープン参加する選手、また特に出場をかけて
予選を戦う128人は(予選に出る選手)時期が被るため、オリンピックか
全米オープンか選択を迫られることになってしまします。

もちろん国によって立場が違いますから、予選くらいではオリンピック代表
にならない国もあるとは思いますが、皆さんだったらどちらを取りますか?。

私だったら……、せっかく東京でオリンピックが開催されるのでオリンピック。

いや、お金が大好きなので全米オープン……、いやー難しい……。

さて、本日のテーマ「サーブ&ボレーはなぜ消えたか」ですが、

 この本は、2007年にベースボールマガジン社
このテーマを聞くと、テニスの上級の方は、「ラケットの変化やボールを変えた
からだ」とか「サーブ&ボレーは単調で見ていてつまらないので、各大会は
サーフェイスを遅くしたからだ」とか言う方がいるかもしれませんが、実は私も
それとほとんど同じ意見なのですが、それとは全く別な切り口でサーブ&ボレーが
激減した事実をこの本は語っています。

まず、この本は過去から近年までプレーしていたサーブ&ボレーヤーが紹介され
(マッケンロー、ベッカー、エドバーグ、ヘンマンなど)そしてテニスの歴史
から始まります。

19世紀のイギリスで、男女が同じルールで出来るスポーツは出来ないかと模索される
ところからスタート。

今でもそうですが、男女が全く同じルールのスポーツは当時皆無で、一緒に楽しめる
スポーツを開発しようとしていました。

なぜ男女が一緒が良いかと言うと、要するに出会いの場を作るため、今で言う合コン
のような意味合いがあったそうでうです。

そこでは、当初はラリー練習のようにただボールをつないでいただけのようですが、
次第に競技性が出てきて、ボレーをする機会が増えてきました。

そのような、テニスを数年経過した後、ウィンブルドンのような大会が開催されるように
なり、オーストラリア出身のプレーヤーがサーブ&ボレーを始めて各大会で結果を
残すようになり、だんだんとサーブ&ボレーが定着してきたという、ちょっと長かった
ですが、そのようなくだりから始まります。

その後、グランドスラムの価値の上昇、テニスの商業化とプロ化、アマとプロの統合
などで、サーブ&ボレーのようにラリーを少なくして、スピーディーにテニスのゲームを
勧める目的、またグランドスラムで優勝する目的など相まって定着したそうです。

芝を得意とするオーストラリアの選手、またハードコートのアメリカの選手の
プレースタイルに多く見られたそうです。

しかし、1980代に入りソビエト連邦が崩壊すると、いままでチェコスロバキア以外は
ごく少数のプロ選手しか排出しなかった旧共産圏の東欧諸国から、プロテニスプレーヤー
がたくさん出てくるようになりました。

彼らは、主にクレーコートでプレーしていたため、ストローク中心の選手を多く輩出。

現在の、セルビア、クロアチアは強豪国ですし、何と言ってもロシアの出現は、多くの
トッププレーヤを生み出しました。

さらに、1990代初めにEUが発足し、EU圏では自由に行き来できるようになり、
育成のための遠征などがやりやすくなったということです。

確かに、フェデラーもマレーもジュコビッチも自国を出てテニスの向上に励んでいました
し、ヨーロッパの選手は現在はほとんどそのようにしています。

そして、やはりこの地域もクレーコートがメインでプレーする事が多く、結果ストローカーが
多くなり、サーブ&ボレーが淘汰されてきた、という話しなのです。

今後は、サーブ&ボレーのスタイルで№1になるのは難しいだろう……という結論で
終わりますが、わたしは華麗なサーブ&ボレーが大好きです。

№1になるサーブ&ボレーの選手が出てきてほしいとは言いませんが、サーブ&ボレーを多用
して勝ち上がるプレーヤーが見たい!!。

今、そんな選手がいないか、事あるごとに試合を見て探していますが、どなたかサーブ&ボレー
を華麗に決める選手を発見しましたら、是非ご一報ください!!。