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トップスイマー紹介③ 〜古橋 廣之進  (日本)〜

ひとりごと


みなさん、こんにちは!


第3回トップスイマー紹介は


戦後の日本のヒーロー、フジヤマのトビウオこと


古橋 廣之進(ふるはし ひろのしん)さんです!


〜プロフィール〜

生年月日 1928年 9月16日

出身地 静岡県

没年月日 2009年 8月2日 (イタリア、ローマ)

得意種目 自由形(長距離)

世界記録更新回数 33回!

ニックネーム フジヤマのトビウオ








みなさんは、この方をご存知でしたでしょうか?


戦後の日本を生きられた方々なら、ご存知方思います!


1939年〜1945年の第二次世界大戦終了後に


水泳界で、次々と世界記録を打ち立て


戦後、落ち込んでいた日本国民に元気と勇気を与えてくださった


偉大なるヒーローです!





「世界記録を33回も出してるんだから、
 戦後といえど、裕福な暮らしで健康で水泳をしてきたのだろう」


と思ってしまいそうですが


そうでもないようです。




古橋さんは、小学4年生の時に水泳を始めて


中学生になる頃に、戦争激化のため水泳を一旦中断した時期がありました。


その頃、学徒勤労動員で砲弾工場で作業していた際に


機械に左手の中指を挟まれ、


第一関節から先を切断するという事故にあっています。


なので、33回も打ち立てた世界記録は


左手の中指の第一関節がない状態で泳いでいるといううことです!


確かに、1cmほどのことかもしれませんが


0.1秒を争う競技にとっては


なかなかのハンデだと思います(汗


古橋さんも当時は「もう水泳は終わりだ」


と、思って大学進学後は勉学に励むつもりでしたが


大学進学後、お母様がお亡くなりになる時に言い残した


「水泳、頑張って」


という遺言が、古橋さんを奮い立たせたそうです。



大学2年に進学した春


水泳部に入部した古橋さん、


1日に、2万〜3万メートル練習する日もあったようです!


しかし、戦後の日本、


食べるものも満足には無く、


スイトンや豆かす、芋を食べて練習していたそうです、、、(汗


それでも、古橋さんは


徹夜で自主練習をしたりして練習を重ねていき


1948年 ロンドンオリンピックの日程に合わせて実施された


全日本水上選手権で、未公認ながら世界記録を打ち出しました!


(1948年のオリンピックは、日本の参加が認められていなかった)


しかしながら、当然のごとく国際社会は信じません。


「どうせ、日本のプールが短いのだろう」などと。





1949年、国際水泳連盟が日本水泳連盟の再加入を認め


古橋さんは、全米水泳選手権に招待されました。


そこで、古橋さんは


1500m自由形、800m自由形、400m自由形、800mリレーで


世界記録を樹立し、自分の実力が本物だといううことを証明しました!


アメリカは、古橋さんのことを


「The flying fish of Fujiyama」(フジヤマのトビウオ)


と呼んだそうです。


このこともあり、日本とアメリカの和解が進み


古橋さんは、まさに「時代のヒーロー」でありました。






今となっては、衣食住が整い


最高の環境で水泳ができるようになった世の中ですので


「芋食べれば、速くなれる!」


ということは絶対にないですが、


学ぶべきことは、とても大きいと思います。


うまくいかないことがあっても「環境のせいにしない」


ということは、このことかもしれませんね。


古橋さんのたくさんの名言の中に、有名なものがあります。


「速く泳ぐだけなら、魚には勝てない」


古橋さんのお言葉は、今も水泳界で言い伝えられています。


それは、水泳選手だけでなく


全ての人に共通することもありますので


ぜひ調べてみてくださいね!






ロンドスクールマックス上北台
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